珈琲の美味しい理由
今日はクリスマス。
記録的な寒さを除けば、良く晴れて最高な休日。
新一は昨日から、新宿の平次のマンションに居た。
工藤の家は広く寒い。
雪こそ降っていないが、とにかく冷える。
冷暖房が完璧なこの部屋は、新一にとって快適な空間。
二人は久々の休日をここでゆっくり過ごし、夜になりベッドへ移動していた。
︙︙もぞもぞと布団が動く。
「てめ、まだヤル気か」
「まだ十二時回ったばっかやぞ。工藤かて足りてへんやろ」
「珈琲が飲みたい」
「は?」
「お前んち、あったっけ」
「︙︙こんな夜中に飲むもんやないやろ」
覆い被さってきた体を、新一の右腕が遮る。
更に鋭くなってきた視線に『ちょお待っとれ』と、平次は息を付きベッドを降りた。
︙︙珈琲の香りが、近付いてくる。
「出来たで。起きい」
「ん︙︙」
「ホレ、羽織れ」
ほんの十分ほどの間だったが、新一はガッツリ眠りに落ちていたようで。
頭に服を投げられて、目を開ける。
「︙︙サンキュ」
上半身を起こし、下半身は布団に入ったままパーカーを着る。
渡されたマグカップ。
ベッド横の壁に寄りかかり、新一はそれを両手で包み口を付けた。
熱すぎず、温くもなく。
新一のちょうどいいを知ってる、絶妙な温度。
「うまい︙︙」
「驚いたか」
「︙︙それにこの味︙︙服部、お前のバイト先ってまさか」
「せや。駅前のスタバ」
「マジで?」
新一が驚くのも無理はない。
ここ数ヶ月は互いに忙しく、ろくに逢えない日々が続いていた。
夏以降、平次がバイトを始めたのは聞いていたが、スターバックスで接客していたとは。
「珈琲の知識から入れ方まで叩き込まれたで。新商品も毎月出るから大変や」
「︙︙よりによってスタバかよ」
新一は腹が立っていた。
珈琲が思った以上に美味しかったから、余計に。
別に、バイトするのは自由だ。
そんなのは本人の勝手だ。
︙︙けど。
服部がバリスタ?
冗談じゃねえ︙︙どう考えたって、カッコイイに決まってる。
ただでさえ大学の女どもがウルセエのに。
必要以上に人前に出るなんて、何考えてんだこいつは。
そう。
服部平次は、とにかくモテる。
探偵としてはもちろん剣道でも知られていて、彼を一目見ようと数多くの女性ファンが、連日大学に押し寄せていた。
当の本人もそれは自覚している。
だから、こいつがシフトに入ってる時間は大盛況に違いない。
「スタバ駄目なん?」
「そうは言ってねえ」
スターバックスは新一が本当に好きな場所。
その空間にいる、エプロンを付けて愛想を振りまく平次を想像する。
︙︙なんてこった。
新一は、カップを持ったまま項垂れた。
「工藤」
「︙︙ん?」
「珈琲、うまいやろ」
「え︙︙ああ、うん」
再度そう問われ、新一は顔を上げ素直に答える。
思うところは色々あれど︙︙この珈琲は本当に美味しい。
「お前んこと考えて、いれとるからな」
「は?」
横並びの位置。
いつの間にか左側に入って来た平次が、得意の甘い声で囁いてくる。
正面よりもダイレクトに響くそれに、新一は身じろいだ。
「スタバで珈琲飲んどる時、ホンマ綺麗に笑っとんの︙︙自覚してへんやろ。初めてあの顔を見せられてから俺は、ずっとスタバに嫉妬しとった。自分でなんぼ入れてみても上手く行かんかったから、実際に働いてみたんや。こうして俺の入れた珈琲飲んで、俺にだけあの笑顔向けさせよ思てな」
「な︙︙」
急激に体温が上がり新一は目を見開く。
平次は最初から、新一の為にしか動いていなかった。
いつも、新一の癒しの場となり笑顔を引き出す『スターバックス』という空間に妬いていた。
だからあえてそこのバイトを選んだのだ。
なのに当の本人から、いっこうに連絡が入らない。
多くの女子たちに写真を撮られ、SNSなどに投稿され拡散されていると言うのに︙︙一番気付いて欲しい相手には、全く届いてなかった。
︙︙昨日、それとなく聞いたらLINE以外のSNSは見ていないと判明し、平次は愕然としたのを思い出す。
「俺の計算では、噂を聞きつけた工藤が店に現れる筈やったんやけど︙︙」
「悪い。全然知らなかった」
「目的は達成したし、ええわ」
満面の笑み。
こちらが恥ずかしくなるくらい、幸せそうな顔を向けられ新一は逆に戸惑う。
︙︙達成した?
俺はさっきから不機嫌な顔しかしてない筈︙︙
そんな事を考えているのを、平次は察知した。
「ホンマ自覚なしなん? やっぱ店に来んで正解や︙︙お前、もう俺の入れた珈琲以外飲むな。あないな顔、他の奴らに見られてたまるかい」
平次が渡したマグカップ。
壁に寄りかかり、それを両手で包み口を付けたその瞬間。
︙︙確かに一瞬、新一はふわりと笑ったのだ。
「ならもう行くな」
「へ?」
「うまく入れられる様になったんだから︙︙これ以上練習する必要、ねえよな」
「まあ︙︙そやな」
「じゃあもう行って欲しくない」
スターバックスは、新一が本当に好きな空間。
その香ばしい珈琲の空気の中で︙︙自分のために練習したその腕を、他の誰かにも提供している。
それは、やっぱり面白くない。
だから行って欲しくなかった。
その仕事場に、もう二度と。
︙︙こんなことを口にする自分に驚く。
飲みきったマグカップに視線を落とし、新一は目を閉じた。
その様子を真横で見ていた平次。
これ以上耐えられないと言った表情で、布団に突っ伏す。
「ホンマ俺をコロス気か︙︙」
「何でだよ」
「言うてくれたらええなあ思とったけど︙︙実際聞いたら幸せ過ぎて心臓に悪いわ」
「︙︙」
新一が、珍しく拗ねている。
拗ねているというか、妬いている。
逢うのが久しぶりというのもあるが、予想してなかった平次のバイト先に動揺しているからか︙︙
表情に体温に視線に、本心が出てしまっているのだ。
︙︙その感情が全て自分に向いているのだから、平次は堪らない。
「心配せんでももう行かん」
「え? ちょ︙︙おい!」
「もともと昨日までの短期バイトやし。目的は、工藤にうまい珈琲飲ませて︙︙あの顔、向けさせる為だけやったし」
「︙︙っ」
「思った以上のクリスマスプレゼントもろたわ」
平次はマグカップを奪い取り、ヘッドボード上に置く。
そのまま新一に覆い被さると、羽織っていたパーカーを剥ぎ取り床に落とした。
月明かりだけが差し込む部屋。
褐色の手が今日何度目かの胸を腰を這い、唇や耳に触れる。
︙︙やがて熱は全身を覆い絡み合った。
雪が降りそうなくらい、寒い夜。
一日中、だらだらゴロゴロして過ごしたクリスマス。
真夜中に珈琲を飲んでからも、やたらと盛り上がり︙︙気がつけば、丑三つ時。
さすがに眠気と気怠さが襲ってくる。
「やっぱり︙︙行ってみたかったかな。お前の働いてるスタバ」
「へ?」
「珈琲飲んでる俺の顔見て、満足してるお前の顔を︙︙他の奴らに、見せびらかす的な?」
「︙︙ほー」
男二人には狭すぎるベッドで、寝転がり向かい合う。
月明かりも差し込まなくなった空間で、互いの表情もまともに分からないのを良いことに︙︙
新一は微笑いながら、平次の頬に手を伸ばした。
互いに触れつつも、必要以上に密着はしない。
新一は過度な接触が苦手だから、抱き合って眠ることはない。
やることはやってるのに、矛盾しているが︙︙どうやら自分じゃない体温が苦手らしい。
「俺しか映してねえ目。ヤバイな」
「せやなあ︙︙ちゅうか実際、工藤が来たらそっちのが大騒ぎやで? お前、変装とかせんしな」
「? 必要ないだろ」
街中などで、平次や快斗たちといるときは声を掛けられることも多いが、目当ては彼ら。
自分だけのときに呼び止められることは皆無だったから、新一はきょとんと言い返す。
その反応に、平次が息をついた。
︙︙そら一人んときは、話しかけるなオーラが出とるしな。
工藤新一は、気がつくと色々思考している。
決して怒っているわけではないのに、だから不機嫌と見られることが多い。
顔が良い人間に有りがちな状況だ。
だから当の本人は気付いていない。
手足のバランスも良いから逆に目立ちすぎてしまい、とても話しかけられる雰囲気ではないのだ。
冷静に分析する服部平次も、そちら側の部類なのだが︙︙人懐っこい雰囲気のせいで、逆に人を寄せ付けてしまっている。
「俺のエプロン姿、興味あるんやったら検索したらええ。えらい画像︙︙出てくるで」
「んー︙︙」
最後の言葉が吐息に消える。
クリスマスも終わり、夜が明ければ年内最後の日曜日だ。
「寝るか︙︙あ、工藤︙︙明日、ちょおオモロいとこ連れてく」
新一からの返事はない。もう眠ったようだ。
平次は布団を掛け直す。
そして、横の寝顔を見つめた。
最中は絶対に電気を付けさせてくれない新一。
けれども、徐々に目は慣れるからある程度は見えてくる。
「おやすみ」
︙︙先に眠りに付くのは、体力の消耗が激しい新一の方。
だから平次は自分が眠るまで、こうした時間をいつも過ごしていた。
次の日。
遅めの朝食を摂った二人が向かった先は、新宿歌舞伎町のとあるビル。
数々の謎解きができることで有名なその場所に、突然彼らが登場し現場は一時騒然。
運良く一緒に参加した人からの投稿が、しばらくSNSを賑わせた。
[了]
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