星に願えば
今日は七夕。
ここ数年は雨が多かったのに、すこぶる良い天気だった今日。
「帽子被ってくんの忘れた︙︙」
げんなりして、チャリで走り出したのは夜の闇。
「失敗した︙︙」
信号で止まる度、新一は後悔していた。
というか家を出て一分も経たないうちに、引き返そうかと思った。
︙︙何故かと言うと。
「日が暮れたって暑いもんは暑かったんだよなー︙︙ちくしょ」
そう。
身体にまとわりつく湿気が、額に張り付く前髪が、とにかく新一から体力を奪っていったからである。
なにせ今日は各地で今年一番の暑さを記録していたのだ。
しかし彼には行かねばならない理由があった。
それは、ある『約束』をしていたからだ。
「服部のヤロウ、これで遅れて来やがったらぜってえ許さねえ」
それは、今年の五月四日に『七夕の日に逢おう』という『約束』。
もちろん時間は二十四時ぴったり。
意外にロマンティストなんやなーと微笑う彼を、鮮やかに蹴り飛ばし別れてからもう二ヶ月だ。
︙︙公私ともに忙しい東西の名探偵は、この日を本当に楽しみにしていたのである。
「にしてもあっちーなー︙︙」
現在、二十三時三十分。
新一はとある高台の駐車場に着いた。
脇にある道を行けば、ほどなくして見晴らしの良い場所に出る。
︙︙新一は、子供の頃からその場所が大好きだった。
「お。来たかな」
遠くからふたつの光が近付いてくる。
予想通りに駐車場へ入ってくると、新一に気付いたのかそろそろと寄ってきた。
「工藤? 何で上に行ってへんねん」
「このクソ暑いのに何言ってやがんだ。俺を蚊に吸わせてえのか」
「あーせやな。あんなトコ居ったら刺されまくりやな」
「解ったら後ろ開けろ。チャリ入れる」
運転席の窓が開き、平次が顔を出した。
確か待ち合わせは『例の一本樹』だったから素直に聞いたら、まあ納得する内容だったから苦笑する。
考えてみれば鬱蒼と木やら草やら茂っている所に行こうもんなら、それなりの装備はしないと大変なことになる。
新一は特に夏も蚊も暑さも大嫌いなのだ。
今も、額に前髪を張り付かせながらグッタリとした表情をしていた。
「早かったんやな」
「お前もな。この車どうした?」
「おう。どーせ工藤はチャリやろし、後ろに積めるでっかいの友達に借りてきたんや」
「いい推理だ」
そう言うと新一は微笑う。
久しぶりのナマの笑顔に、平次はドキリとしながら助手席の鍵を開けた。
「せやけどホンマに暑かったなあ、今日」
「今年は雨少ねえのに湿気だけは凄い。サイアク」
「関東はそうらしいなあ。西ん方は酷かったで」
「︙︙そうだったな」
失言だったと後悔したのか、新一は声を小さくした。
平次は微笑う。
まったく。
音と映像で感じられる『工藤新一』は本当に可愛い。
︙︙平次は沸き上がってくる欲望を堪えながら、話題を変えた。
「そ、それにしても星、見えへんな」
「まあ︙︙ここ、東京だしなあ」
「せっかく晴れやのに」
「何だ。俺に逢えただけじゃ不満か」
「へ?」
「どーせ見えねえだろうと思ってさ。こんなの持ってきてみた」
新一はポケットから何かを取り出す。
それは携帯のストラップ。
星が連なってる、小さな銀色のものだった。
︙︙平次はそれを何処かで見た気がして、記憶を辿った。
そうして『あ!』と小さく叫ぶ。
「それて︙︙土曜の夜にやっとるヤツ?」
「へー。お前、見てんのか」
「ちゅうか和葉が今ハマッとってウルサイんや。やれヨン様がどうのこうのってなー」
「やっぱな。蘭もさ、最近すげえんだ︙︙この前なんて『新一もこれからは韓国語覚えなさいよね!』とか言ってDVD持ってくるんだぜ?」
それは『冬のソナタ』。
約二年前に韓国で大ヒットしたそのドラマは日本でも何度か放送されたが、また今年の四月から土曜の夜に再放送しているのだ。
そのドラマの中で使用されているのがこの『ポラリス』という北極星を形どったアクセサリー。
これがかなりのオンナノコ達がハマッているらしく、こういう関連商品が飛ぶように売れているらしい。
特に主役の男性がヒロインである女性に贈ったこの『ポラリス』というペンダントは、本当に大人気で。
蘭も和葉も例に漏れず、買っていたらしいのだ。
︙︙そして蘭が購入したペンダントとセットだったというストラップ。
何故かそれが、新一の元にある。
「︙︙その『ポラリス』は蘭ちゃんがくれたんか」
「そ。前に友達にもらってたらしくてさ︙︙だからって俺にくれてもなー。だって俺が携帯に付けてたら変だろ? 大体、物語ん中じゃあチュンンサンがユジンにあげるもんなんだし」
「詳しいのー工藤。見たんか」
「せっかくだし見た。いやーこれがさ、二十話もあるっつーんで『マジかよ』と思ってたんだけど︙︙意外に面白くて一気に見ちまった」
「ほー︙︙」
車の振動で揺れる新一の手の中のポラリス。
それは暗闇の中とても綺麗にライトに反射して、平次は目を細めた。
「じゃあ願えよ」
「はい?」
「これが流れ星って事で。ほら、三回言ってみろ」
「︙︙アホかい」
「言えたら信号待ちの間にキスしてやるのになー」
「なぬ? くどうくどうくどう!」
「全く︙︙ホントに素直だよなあお前は」
自分から仕掛けた事なのに、新一は夜目にも解るくらい赤くなる。
速攻で最強で簡潔な『願い』は、だけどそれが平次にとって『全て』の願いだった。
だから、胸が熱くなる。
「工藤、信号や。赤やで!」
「解ってるっての」
「ほっぺとかナシやで? 口にちゅーやで?」
「︙︙ゴチャゴチャうるせえな」
ちう。
「へ? もう終わりなん?」
「こんなトコで欲情してどうする。後は、ウチに着いてからだ」
「えー」
「オラ。もう青だぜ」
冷房の効いた車内で、それは一瞬の熱さだった。
二ヶ月も離れていて。
電話やメールは毎日していたけど、やっぱりそれだけじゃ足りなくて。
こうして触れ合えて嬉しいのは平次だけじゃない。
︙︙ったく。
俺の方がヤバイっつーの︙︙
口唇の熱さは下半身にも伝わり。
新一は今自分を抑えるのに必死だった。
何故なら。
今日、新一がとっくに願ったこと。
それは︙︙
はっとりはっとりはっとり。
︙︙彼もただ、それだけだったのだから。
[了]
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