陽炎と夏の花火

 

 相変わらず昼の熱が冷めない。
 アスファルトが湯気を吸って吐き、街路樹の影も鈍く揺れる。

 見上げた先の電光掲示板はどこも『危険な暑さ』『熱中症警戒』を点滅させ、たまに見掛ける歩道のミストは、頼りなく霧を吐いていた。

 お盆の東京。
 息を吸うだけで、息苦しい。

 工藤新一と服部平次。
 二人は帽子を深く被り、深く息を吐いて警視庁前の横断歩道を渡っていた。

 ……日陰がない道路は、本当に日差しが熱くて痛い。

「服部、やっぱタクシー捕まえろ。電車ムリ」
「せやな……大阪も暑いけど、この湿度は俺もアカンわ」

 先程まで、打ち合わせで涼しい屋内にいて寒いくらいで。
 けれど一歩外へ出たら、一気に襲い来る湿気。

 もう夕方だと言うのに、容赦ない西日が確実に新一から気力を奪っていた。

 


 

 新一は夏が好きではない。
 夏というか、湿度と相性が悪い。

 汗で髪や服が張り付く感覚が苦手で、極力汗をかきたくない。
 太陽を遮るためのレンズが入った眼鏡が気温差で曇るのも、好きではなかった。

 警視庁横の街路樹の影に入り、ひと息付く。
 平次はタクシーを止めようと、国道の方に視線を移した。

 その時。
 桜田門駅の入り口から、良く知った顔が現れる。

「え、は、服部くん? ……と、工藤くんも?」
「……高木さん。どうかしたんですか、そんなに慌てて」
「い……いや。二人とも警視庁に用事かい?」
「いえ。近くで人と会ってて。これから外苑に行くんです」
「そうなんだ。あ、いえすぐ戻ります……じゃあ、暑いから気を付けてね」

 インカムに応答し警視庁へ戻るのは高木渉。警視庁捜査一課の刑事だ。
 見ると庁舎前も、他の刑事らしき人たちが慌ただしく動いていた。

「起こっとるな。何か」
「……『外苑』に反応してたってことは、予告とか届いてるかも」

 とはいえ二人は一般人。
 高校生の頃は、強引に事件に首を突っ込んでいたりもしたけれど。

 二十歳も過ぎて流石に少しは大人になった。
 だから、警察からの依頼がない限り……進んで関わりに行くことは、ない。

「無事に花火、上がるとええな」
「大丈夫だろ」

 二人が知っている警察関係者はみな優秀。
 新一は微笑うと、タイミング良く通りかかったタクシーを止めた。

 


 

 神宮外苑に程近い所で下車し、路地を少し進んだ先の喫茶店へ入る。
 イベント前の涼みに入っている人も多いのだろう。浴衣姿が多く目に付く。

 改めて帽子を深くしながら一番奥の席に着き、アイスコーヒーを注文した。

 寒いくらいの冷気が心地良い。
 二人は目の前に置かれた水を一気に飲み干し、ひと息付いた。

 今日は、明治神宮外苑の夏の風物詩である『神宮外苑花火大会』だ。
 花火はもちろん様々なアーティストのライブも開催されるとあって、毎年多くの人が訪れる。

 喫茶店の窓から見えるのは、会場へ向かうだろう人の群れ。

「ホンマえらい人や」
「ライブもあるし。余計にな」

 新一は普段、こういったイベントには行かない。
 ……だけど今日は。

「いっぺん見てみたかったんや。付きおうてくれて、おおきに」
「別に。俺も見たかったし」

 平次が一度、神宮の花火を見てみたいと言ったから。
 だから、ここまで来てしまった。

 しかし覚悟はしていたが……想像以上に、空気が重く暑苦しい。
 
 こいつが満足したら早々に帰ろう……
 新一はそう決め、目の前に置かれたアイスコーヒーに口を付けた。

 


 

『……18中央付近だ』
『ティルトがかかった瞬間、連発の3つ目』
『配置は完了。大丈夫、保冷タイプだ』

 やがて程良く苦いアイスコーヒーが半分ほど減った頃。
 背後の席から妙な単語を聞き、新一は視線を止めた。

 確か一人の客。
 誰かと、イヤホンで通話している。

 正面の平次に目配せした後LINEを開き状況を入力。画面を見せる。
 口では他愛のない会話を続けながら、目暮警部宛てにメッセージを付け加え送信した。

〝外苑付近の喫茶店にいます。背後の会話で『18列付近、連発3つ目、保冷バッグ』の単語あり。長めの金髪に薄めのサングラス。青の浴衣、身長175前後の年齢約30代前半の男。位置情報送信します〟

 いったんテキストを送った後、同じアプリで位置情報も送る。
 すぐに既読が付いた。やがて返信も来る。

〝さっき高木君から君たちに会ったと聞いていた。もしやと思ったが……情報は感謝する。爆処はもう向かっているが、目印が欲しかったから助かったよ。あとは、我々の仕事だ……くれぐれも、追わないようにな〟

 その時、背後の男が席を立った。
 平次の合図で新一も振り向く。思った通り背は自分とほぼ同じ。会計を終えて、外へ出て行った。

「EOD動いとる。爆弾やな」
「目暮警部は『もう関わるな』って言ってるけど……どうする?」
「そら俺らは、花火を見に来とるわけやから、会場行くだけや」
「……さっき、18って言ってたよな」

 俺たちは学生であって警察でも刑事でもない。
 けれど『探偵』だから、人から依頼を受け情報などを収集し、時に難問を解決したりもする。

 更に目の前で明らかに事件に発展しそうな事案が発生している。
 情報提供は、当たり前の行動。

 新一は去り際を撮った男の写真を目暮へ送る。
 その間に平次が会計を済ませると、二人は雑踏に消えた男を追って行った。

 


 

 空は既に太陽が沈み、西の地平線にかけて炎が燃え尽きるように紺色への余韻を見せている。
 神宮球場の外周には多くの屋台と人の波。昼からの熱と湯気が、蜃気楼のように視界を揺らしていた。

 球場ではアーティストのライブが行われている。その後の花火へと、熱を誘導しているのだろう。

 花火と爆弾か。
 相性良すぎて、厄介だ。

 二人はスタンドCブロックへ降りる通路に辿り着く。
 
 さっきの男は18中央と言っていた。
 肝心なブロック番号が聞き取れなかったが、どういう偶然か自分たちが取った席は「ライト側C」18の5と6番。

 もしかすると、また余計な運を引き寄せてしまってるのか……?
 どちらにせよ早く終わらせて、冷たい飲み物片手に花火を眺めたい。
 
 茹だる暑さと盛り上がっている人混みをかき分け、新一は自身の座席を確認した。

「……工藤」
「マジか」

 座席の下に、銀色の保冷バッグらしきものが置いてある。
 左右には既に人がいてライブに夢中だ。ここで立ち止まったままだと、逆に目立つ。かと言って動かせる状態か判るまでは、ここに置いておくしかない。
 
 帽子を目深にしながらコンコースを見上げた。
 視線の先に私服の高木を見つけ、急ぎ駆け寄る。

「高木さん!」
「工藤君……警部から聞いたよ、全く君たちは」
「ありました。僕たちの席の下です、処理、お願いします」
「え!?
「この場所や」
 
 驚く高木に平次はチケットを渡した。
 『目暮警部にも送信済みや』と伝えると『じゃあ僕たちこれから花火観るんで、後はよろしく』と新一が微笑わらう。
 
「ありがとう、いやそうじゃなくて!」
「はい。これ以上は首、突っ込みませんから」
「ホントかなあ……」
「まあ信用されへんのはしゃあない。せやけど俺らも花火楽しみに来たんや。後は頼んだで」

 からからと笑う平次。
 高木は『分かった。それじゃ』と言葉を残し、爆弾処理班だろう人を連れ、足早に降りていった。

 あとは、彼らの仕事。
 移動出来るようだったら運び出だすだろうし、違う場合であっても騒ぎにならないよう、事を進めるだろう。
 
 花火大会は、これからが本番だ。
 なのに。

「服部」
「おう。なるべく目立たん様に済ますで」

 音と熱気が増している。
 ふと球場に目を向けると、花火が始まるまでのカウントダウンがスクリーンに映し出されていた。

 背中に刺さる視線。喫茶店にいた男の仲間だろう。二人。
 浴衣にサンダル、距離を詰めてきている。

 ……まだ終わってない。

 ステージ上では、有名なアニメの曲で盛り上がっていた。

 


 

 新一と平次は売店の裏手、搬入口へ続くサービス路に回り込む。
 音が壁で跳ね、観客のざわめきが薄まる。熱はこもったまま、空気は相変わらず重い。

「来るぞ」

 先に手は出さない。
 あくまで、身を守る為にやむを得ず行った行為とする。

 最初に腕が伸び、新一は半歩で外へ逃がし、肘を返して動きを止めた。倒れた体は壁に当てない。思ったより弱くて拍子抜けする。

 その時、球場が揺れた。
 立て続けに花火が打ち上がり、歓声が夏の夜を包む。

 ……ああ、始まっちまった。

 新一はやれやれと手を払い平次に目をやる。
 男の軌道にすねを差し込み、重心が浮いたところを肩で押していた。転がる音は花火に紛れ、手にしてたナイフは壁に跳ね返る。

 それを新一が、手の届かない所に蹴り飛ばした。

「危ねえもんは、こっちに蹴っとくぞ」
「そっちはもう終わったんか? 相変わらず早いやっちゃ」
「後ろ。よそ見すんな」

 呻きながら男は起き上がる。
 間髪入れず足首を払い、手首の骨が鳴る直前で止めた。悲鳴は上がるが花火にかき消され、新一にも聞こえない。

 両方が気を失った所でひとまとめにし、高木に連絡する。
 すぐ近くにいたらしく数分で合流し、身柄を渡した。

「花火を楽しむんじゃなかったのかい!?
「後を付けられてたみたいで……高木さんから離れた直後に、向こうから襲ってきたんです。あ、凶器はここに転がってます」
「!」

 爆弾を見つけ自分たちに伝えた彼らを、犯人グループが見ていた可能性は考えられたのに……護衛も付けずに二人を行かせてしまい、危ない目に遭わせてしまったのか。

 この二人が強すぎるから、助かっただけのこと。
 それを高木は今更思い知る。

「こちらが気を付けるべきだった。申し訳ない……とにかく、無事で良かった」
「問題あらへん。さっきのは片付いたんか?」
「ああ。どうやら花火と連動させてたらしくてね……始まる前に解除できたよ。動かせないタイプじゃないと判断できたから、移動して対処した」
「金髪の男は、どうなりましたか」
「それも目暮警部の方で確保したよ。お陰でこのイベントも中止せずに済んだ。まあ……上からは絶対に開催しろと言われてたみたいでね。直前に中止だなんてことになったら、莫大な損害が出るから。だからこそ、気付かれず事を進めなければいけなかった」

 だから、警視庁も警察庁も総出で警備と捜査に当たっていた。
 観客の何割かにはもちろん、警察関係者が紛れて。

「じゃあこれでホンマに終わりやな」
「聞くことは色々あるけど、まあ明日以降かな。このチケット、ありがとう。本当に助かったよ……まだ花火は続くみたいだし、楽しんで」
「はい。高木さんも」
「僕は仕事だよ」

 残念そうに高木は言う。
 確かに犯人たちを連行しなければならないから、呑気に花火を楽しんでは居られないだろう。

 私服警官たちと高木が去ると、新一は深く息を付いた。
 服が帽子が、汗で貼り付いている。

 早く帰りたい。
 ……けど、まだ花火を楽しんでない。

 地鳴りのような揺れ。
 そして白い雨のような光が降り注ぎ、球場が一瞬だけ昼になる。

「工藤。ビール買うてこ」
「あと適当につまみも。急に腹減ってきた」
「せやな。待っとけ」

 自身の席に戻る前に、腹ごしらえ。

 いつもなら炭酸は好まないが、何故だろう。野外だと無性に飲みたくなる。
 暑いときは、特に。

 と。
 その時、ポケットのスマートフォンが振動した。

「あれ。もしかして会場にいます?」
『……風見から聞いたよ。解決が早いわけだ』
「俺は普通に観客として来たんですけどね」

 公安の安室。いや、降谷零だ。
 やはり会場に来ていた。背後から聞こえる音が、同じ場所にいることを示している。

『無事ならいい』
「安室さんがいたんなら、もっと早く終われたでしょ」
『さすがの俺でも、まさか君の席の下に仕掛けられてるとは、予想できなくてね』
「確かに」

 笑う新一。
 『安室』ではなく『降谷』だと知っているが、その名では呼ばない。

 公安である『彼』は『コナン』だった頃から何かと世話になっていて、新一が気を許せる人間のひとりだ。

「すまんすまん、えらい混んどってな」
「あ。じゃあまた」

 そこに平次が戻ってきた。
 新一は、会話を終える。

「……別に話しててええで?」
「何言ってんだ。行くぞ」
「お、おう」

 誰と話していたのやら。
 暑さで参っていた気力が明らかに復活しており、平次はちょっと面白くない。

 新一はスマートフォンをポケットに戻す。
 そして食料と飲み物を受け取ると、先程まで爆発物が置かれてあった自分たちの席へ向かった。

 


 

 ラストは大連発で花火大会は終了。

 始まる前までは、ある程度満足したら帰ろうと思っていたのに……結局食い入るように、最後まで観て楽しんでしまった。

 拍手が、遠雷の尾を引く。

「やっぱ生で見るんは最高や。来年も、一緒に観よな」
「ああ」
「え、ホンマ?」
「は? 何で驚く」

 火の花が消え、暗闇が戻る帰り道。
 二人はある程度大通りを離れたところで、タクシーを呼ぶ。

「暑いのは嫌や言うとったし」
「それは嫌だ」
「せやったら何で」
「うるせえな。嬉しくねえのか」
「そら嬉しいに決まっとるけど……」

 急に拗ねた表情かおになる新一。

 暗闇だから気が緩んでいるのか、まだアルコールが残っているからなのか。
 外では基本的にしないはずの、会話が続いていた。

「……お前から誘いを、俺が断ったことねえだろ」
「!」

 喧噪から離れたこの場所。
 それは平次の耳に、小さく響いた。

 ……強烈な上目遣いと一緒に。

「来たぞ」
「お、おう」

 アプリで呼んだタクシーが到着し、二人は乗り込む。

 運転手に行き先を伝えると、新一は目を閉じる。
 寒いくらいの冷気と振動が心地良い。

 平次も大きく欠伸をする。
 熱の残る都会の夜景を眺めながら、逸る鼓動を感じていた。

 

 陽炎かげろうは、蜃気楼しんきろう
 夏の夜のゆらめきは、まだ終わらない。

 

[了]

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