刹那さと吐息の狭間で
「新一︙︙雪」
「お。寒いはずだ」
東京、渋谷。
見上げると、ちらほら落ちてきたのは雪。
「積もっかな」
「無理だろ」
「︙︙ホント浪漫ないねえ新ちゃんてば」
スクランブル交差点。
人々が、四方八方で『青』を待つ場所。
舞い落ちてくるそれに、皆が空を見つめている。
見上げつつマフラーを口元まで持ってくる新一。
それでも、冷たい風を感じて体を震わせた。
「このあと予定あるんだよな」
「新一もだろ? さっきから時計気にしてるし」
現在、夕方四時。
街のイルミネーションも、クリスマス仕様が多く目立つ週末。
久しぶりに謎解きを楽しんだこの日だが、夜はそれぞれ違う予定がある。
その前にどこかで珈琲でも飲もうと、二人は駅近くの建物へ入っていった。
「悪い。遅くなった」
「︙︙どないした、顔色悪いで」
時は過ぎ、米花駅。
待っていたのは服部平次。
すっかり日の暮れた六時。
走ってくる新一の様子が、おかしいことに気付く。
「どうもしねえよ」
「腕か。ちょお見せろ」
「痛っ!」
タートルのセーターにコート姿の新一。
けれど右側に腕を通してないから、平次は躊躇なくそれをめくった。
現れたのは、肘から上を包帯でぐるぐる巻にされた腕。
擦り傷もちらほら見え、平次は目を見開く。
「︙︙何があったんや」
「カップルの喧嘩に巻き込まれただけだ。ちょっと切っちゃってさ︙︙病院行ってて、遅くなった」
「は?」
実は、あのあと入ったスターバックスでひと騒動起きた。
クリスマス・イヴという事もあって、店内は大混雑。
ようやく空いた窓際の席。新一と快斗は、珈琲と季節のフードメニューを楽しんでいた。
外ではコートや帽子で完全武装だが、中は暖かいから上着を脱ぐ。
すると世間を賑わせている二人が現れたのだから、その場にいた人々の視線を集めた。
工藤新一と、黒羽快斗。
雰囲気は違えど、探偵とマジシャンという肩書きを持つよく似た二人は、仲が良いことでも有名で。
特に新一はスターバックス好きとしても知られていたから、こうして現れるのを狙っているファンも多くいた。
︙︙イヴという日と、スターバックスの心地よい背景。
絵的にも完璧な二人を、多くの女性が携帯端末の写真に収めている音が聞こえる。
そんな状況に慣れっこな彼らは、特に気にせずこの時間を楽しんでいた。
「このケーキうま。新一、そっちのちっさいのは?」
「一口サイズがいい感じだ。珈琲に合う」
美味しそうにケーキをつまんでいる二人。
フードに合うように入れられている珈琲も、相変わらず好みの味だ︙︙そう新一が思った時だった。
ふと隣の席が騒がしくなった。
どうやらカップルが喧嘩を始めたらしく、段々と会話は激しくなっていく︙︙
「快斗。そろそろ行くか」
「そだな」
「︙︙なによ! アンタのそういう所が嫌なのよ!」
「待てって、おい!」
「うわっ」
新一が立ち上がった時だった。
声を荒げた隣の女性が立ち上がり帰ろうとしたのだろうが、持ち上げたバッグがテーブルに引っかかりバランスを崩した。
その彼女を支えたのはもちろん、新一。
「ご、ごめんなさい」
「いえ。気を付けて」
彼女は当然、隣に新一が来たことに気付いていた。
けれど近すぎて、隠れて写真を撮る行動に出ることも出来ず、そわそわしていた。
そんな彼女の様子が面白くないのは、彼氏としては当然だった。
だから喧嘩が始まったのだが︙︙
助けたことが気に障ったのか。
その男の手が、新一の肩をぐいと掴んできた。
「おい。有名人だか何だか知らねえけど、人の女にちょっかい出すな」
「ちょ、ちょっと何言ってんのよ」
なんだか面倒くさい事に巻き込まれそうだ。
直感でそう思った新一は、すぐにその場を離れようとした。
しかし、その行動が余計に気に食わなかったらしい。
「ムカツクんだよ!」
「!」
男は突然、新一が手に持っていたトレイを奪いテーブルに投げつけたのだ。
載っていた皿が割れ床に落ち、大きな音を立てる。
︙︙その破片が新一の右腕をかすめたらしく、思った以上の血が流れ店内は騒然となった。
「新一!!」
「︙︙ってー」
「ご、ごめんなさい︙︙あ、あの工藤君︙︙どうしよう、血が︙︙」
「その男の事の方が気になるのか?」
「バカじゃないの!? いい加減にしてよ!」
大きな声と共に、音が響く。
女性が、その彼を平手打ちにしたのだ。
快斗は新一に駆け寄る。
セーターがぱっくりと切れてる。
見える右腕から流れる血の量に、愕然とした。
「お客様大丈夫ですか!?」
「︙︙てめえ︙︙よくも新一に」
「快斗、落ち着け」
新一は自分の事よりも、快斗が気に掛かっていた。
何故なら彼は︙︙
「はあ? なんだテメエ︙︙二人して女みてえな顔しやがって、俺たちの事に口出すんじゃねえ︙︙え?」
「他人のゴタゴタに興味ねえけど︙︙こいつに手を出した事だけは、絶対に許さない」
︙︙新一に何かあると我を無くすのだ。
さっきまでの人懐っこい表情はなくなり、自分より数センチ高い相手の胸倉を掴み、右手ひとつで持ち上げる。
どんなマジックを使っているのだろうか。
男は自分の体が宙に浮いているのを自覚し、背筋を凍らせた。
「いいからやめろ」
「︙︙けど」
「わ、わかった。俺が悪かった」
「チッ」
舌打ちすると、快斗は手を離す。
男は、戦意喪失し咳き込みながらその場に崩れた。
「お客様、こちらに。手当を」
「いえ、自分で病院に行きますので︙︙お騒がせしてすみません。大事にしたくないので、警察は呼ばないでください。行くぞ快斗」
「︙︙ああ。オネーサン、自分の男ならちゃんと教育しとけよ」
男に明らかな『見下し』の視線を投げ、快斗は女性に言い放つ。
騒ぎが大きくなっているのを感じた二人は、急いで店を出た。
その後病院へ行き、新一は手当を受ける。
血の量の割に傷は深くなかったが、痛みは酷く薬を処方してもらった。
外へ出るとすっかり暗くなっていて。
待ち合わせ場所まで送ろうとする快斗をどうにか諦めさせ、新一たちはそれぞれの場所へと向かって行ったのだ。
「そら災難やったな。けどお前も黒羽も︙︙もおちょい自分らのコト、自覚した方がええで」
駅から工藤邸までの十数分。
風もなく雪もやんだ夜道を歩きながら、怪我の経緯を新一は話した。
工藤新一と黒羽快斗は只でさえ目立つ。
異性のみならず同性からも目を惹き、自らが望まなくとも今回の様に問題も起きた。
その言葉に、新一は無表情で答える。
「自覚︙︙? 誰の息子だと思ってる。生まれた時から、そういう視線に晒されてきたんだ︙︙嫌でも分かってる。けど、気にしてたら何にもできねえ」
工藤邸に着き、リビングへ。
ゆるんだ新一の包帯を平次は替えていた。
「まあ気い付けや。この件、結局SNSで拡散されて大事になっとるみたいやし」
「マジか︙︙ほんと面倒くせえなあ」
︙︙誹謗中傷なら、見なければ聞かなければ済む。
でも、こうして実際に傷つける輩が出てきてしまうのは︙︙本人の引力によるところが大きい。
それを『自覚』しているからこそ、一通りの護身術などは習得していた。
なのに今回こんな事態になってしまい、自身の詰めの甘さに腹が立っている。
「よっしゃ、終了」
「へー︙︙うまいもんだな。サンキュ」
きっちり巻かれた包帯。
新一は素直に、感心する。
その表情に平次は深呼吸した。
「せやったら︙︙そろそろ本題に入ってええか」
「︙︙本題?」
「お前が言うたんや。今日この日まで気持ちが変わらんかったら、試させてやるて」
「ああ、そういや言ったかな︙︙」
ソファに寄りかかり、新一は目を閉じる。
そして思い出していた。
半年前。
熱い、暑い夜。
冷房の効いた部屋で、酒を飲みながら二人で映画を見ていた時だった。
何の映画だったのかは覚えてない。
けど、その主演女優を見てぽつりと平次が呟いたのがキッカケ。
︙︙二人ともだいぶ酔っていた。
「この女優、工藤に似とるわ」
「そうか?」
「顔やなくて、雰囲気っちゅうか︙︙人を惹きつけるオーラっちゅうか︙︙似とる」
その女優の役どころは、自分の美貌を余す所なく使い男を振り回す、魅惑的な主人公。
最後にはターゲットからキスをさせ、口内に仕込んでいた毒薬を使うスパイだった。
しかし新一は不満気に平次を見る。
「一緒にすんな。俺ならもっと上手くやる」
「ほー」
「試してみるか?」
「へ?」
新一が、小悪魔的な表情で微笑う。
囁くように平次の耳元に息を吹きかけると、男なら誰しもが弱い部分をゆっくりと撫で始めた。
「︙︙っ」
馬乗りになり、もう一方の手をシャツの裾から滑り込ませ更に攻める。
「く︙︙工藤︙︙」
「︙︙どうした。息、上がってるぜ」
「ちょ、ちょお待て︙︙」
至近距離で囁かれる言葉は、甘く。
聞きなれてる新一の声が、堪らなくいやらしく響く。
頭のいい奴は、こんな事まで上手いんか︙︙
ものの数分も掛からなかった。
︙︙決してそういう趣味はない平次から、口を塞がせるのに。
「どんな気分だ?」
「︙︙こんなん、どこで覚えたんや」
「さあね。それよりコレどうする? 放っておくとキツイぜ」
新一が股間を指差し、上目遣いに微笑う。
「ここまで煽っといて生殺しか」
「︙︙あんな女優と似てるなんて言うからだ」
「何や。気に触ったんはそっちか」
「うるせえ。後は自分で処理しろ」
吐き捨てるように言うと、新一はその体から離れる。
言われたとおり、平次は自身を静めるためにトイレへ向かっていった。
あの夏の日。
成り行きで接触した二人は、そのまま互いの生活へ戻った。
そして平次は、夏が終る頃に電話で新一に告白する。
『工藤。どないしてくれるん』
「は?」
『︙︙あの日から、お前が気になって仕方ないんや』
暫しの沈黙。
相手の顔が見えない待ちの時間は、平次の心拍数を上げる。
「まあ、俺の責任でもあるし︙︙寒くなれば冷静に考えられるか」
「へ?」
「クリスマスまで保留だ。その日まで気が変わらなかったら、試させてやる」
「試す︙︙?」
「その気持ちの正体、突き止めたいんだろ? あの日の続き、させてやる」
「!」
新一の口調は淡々としていた。
遠回しに言ったから、伝わらなかったのだろうか。
︙︙二人の会話はそこで途切れ、電話は終わる。
その後、その件に関しての話題は出ることはなく。
事件絡みの連絡は、いつも通り続いていた。
そうして十二月。
クリスマス・イヴのこの日、平次は新一に会いに来たのだ。
平次の気持ちは変わらなかった。
それどころか、想いは募るばかり。
言っても仕方ないし言われた方も困る。
最悪、友だちや探偵仲間としての関係も終わると分かっていながら行動に出たのは︙︙
それならそれで早く諦められて、精神衛生上良いと思ったからだ。
「︙︙本当に来るとは思わなかった」
「せやけど律儀に遅れるて連絡くれたやん」
「まあ一応」
新一は思ってなかった。
平次が本気で、この日に会いに来るなんて。
だから今日は予定を入れていた。
だから朝、平次から到着予定時刻のLINEを受け取り驚いたのだ。
「会うて確信した。変わってへんで」
「︙︙なあ服部」
「ん?」
「触られれば気持ちいいのは、そういう風に人間の体が出来てるからだろ? 別に感情がなくたってセックスは出来る︙︙試してみて、後悔しても知らねえぞ」
「︙︙」
「それでもいいなら俺は構わない。約束だしな」
ただし傷が痛むから、そこは労って進めてくれ。
役割も俺が抱かれる側で合ってるか?
そう言いながら新一は立ち上がり、平次を自室へ連れて行った。
︙︙どこからか舞い込む冷気が、肌を撫でる。
「工藤」
「ん︙︙」
「包帯替えよか。解けてきとる」
「︙︙本当だ」
ベッド特有の音と共に平次は布団を出た。
体を竦ませながらシャツを羽織り、そばに置いてあった救急箱を持ち上げる。
サイドの灯りを付け、包帯を出した。
「血、滲んどるな」
「だから言ったのに︙︙おい触るな、マジで痛いんだって」
「触らんでどないして巻き直すん?」
既に時刻は一時。
︙︙新一は、気怠そうに髪をかき上げる。
「お前オトコ経験あんの?」
「いんや」
「それにしては手馴れてたな」
「自分とおんなし野郎の体、オンナ喜ばすより楽や」
「︙︙なるほど」
新一は微笑う。
本当に、綺麗な表情で。
見惚れながら平次は言った。
「なあ工藤︙︙俺、お前が好きや」
「︙︙」
「俺んこと︙︙少なくとも、嫌いやないよな?」
「さあな」
包帯の替えが終わり、新一はシャツを羽織りベッドを降りる。
机の上に置いてあったペットボトルを取ると、乾いていた喉を潤した。
その後ろ姿に、平次は続ける。
「︙︙もっかいしてええ?」
「もの好きだな。男抱いて何が楽しいんだ」
「工藤やから、したい」
「そう言われるのは︙︙悪く、ねえけど」
寒い夜だった。
月が見えない、暗い夜だった。
新一はベッドに戻る。
そうして平次の伸ばした手を受け、その唇に自身のそれを重ねた。
捕まえた。
気がついたら、欲しくて堪らなくなってた。
手に入れたくて、自分を見て欲しくて。
でも言える訳がなくて。
あの夏の日︙︙酒に酔ったふりして仕掛けた。
心臓が飛び出そうだった。
上手く誘いに乗った服部からキスされた時、気がおかしくなりそうだった。
︙︙それからあいつは大阪へ戻り。
俺は東京でいつもの生活に戻り。
本当は期待していなかっただけに、あの電話は本当に嬉しかった︙︙
クリスマスまでの数ヶ月。
俺の一日がどんなに長かったか、お前に解るか?
いつ正気に戻られても良いように、心の準備だけはしっかりしてた。
過剰な期待はしないようにしてた。
︙︙冬が深くなるにつれ不安も強くなりながら、今日を迎えた。
何度も念を押した。
自身と同じ男の体を経験して後悔されたら、立ち直れそうにない。
その上で、あいつが俺を求めて来たのなら︙︙
どんなに幸せだろう。
だから直に体温を感じた時、情けないけど体が震えたんだ。
もう︙︙ばれてるかな。
「工藤。やっぱ俺んこと好きやろ」
「︙︙は?」
「一応俺も、探偵の端くれや︙︙今、確信した」
「な︙︙」
手のひらから感じる新一の体温。
息づかい、鼓動︙︙その全てに、平次は意識を集中させていた。
初めて素肌を抱きしめた時に『もしや』と思ったが、改めて背中に回された腕から感じたのだ。
余裕の態度と相反する震えを。
「素直やないのもええけどな」
「っ︙︙」
「お。また体温上がった」
何だ、やっぱりばれてた︙︙
だって本当に嬉しかったんだ。
︙︙ここまで計画が上手く行くとは、思ってなかったけど。
「服部」
「ん?」
「︙︙雪だ」
「ホンマや︙︙寒いはずやな」
平次の腕の中から、見上げた窓にちらついたのは雪。
数時間前、スクランブル交差点での風景を新一は思い出す。
︙︙手のひらに落ちた結晶は、すぐに溶けて消えた。
お前の気持ちも。
俺の気持ちも、いつまで続くか分からないけど。
この体温が心地良いのは︙︙
確かな事実として、今ここに有る。
「寝る。ちょっと疲れた︙︙」
「無理させたか、スマン」
「︙︙体力で敵わねえのは、ちょっと悔しい」
気力と体力を使い果たし、新一は平次から離れ布団に潜り込む。
大きくあくびをすると目を閉じた。
「まあ怪我もあるし︙︙つうか工藤、ちゃんと飯食うとる?」
「︙︙たまに」
「体調管理も仕事のうちやぞ。せやから変な輩に目え付けられるんや」
「それ関係あるか?」
「当たり前やん︙︙起きたら俺が美味いメシ作ったる。食ってもらうで」
「︙︙お前料理できたっけ?」
言いながら新一は意識を手放す。
大学に入ってから一人暮らししとるから覚えたんじゃ、という返事が聞こえた気もするが︙︙
急激に襲ってきた睡魔に抗えず、そのまま眠りに付いた。
そして目の前に綺麗な寝顔。
平次は逆に目が冴えてしまい︙︙しばらくそのまま、この光景を楽しむことにした。
︙︙刹那さと吐息の狭間で、新一はずっと藻掻いていた。
けれど一歩先に進めたから、この関係を楽しんでみようと決めた。
どうして俺はこいつを好きになったのか。
女性を好きな気持ちと︙︙何か違うのか。
何事も経験。
全ては自分に蓄積され、情報となり役に立つだろう。
︙︙男同士のセックスも悪くなかった。
人間の体って、うまく出来てるよな︙︙
好奇心旺盛な探偵は、そう考えながら朝食のあと、平次の入れた珈琲を楽しんだ。
[了]
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