氷の薔薇が溶けるまでに
「あ。服部コレ駄目」
「は? せやかて影も形もないやん」
「︙︙前にそれ食わそうとしたら、バレた」
「マジか」
何やら、キッチンで食事の支度をしている男二人。
そしてリビングでテレビを見ながら、ソファに寝そべる男が一人。
「そこそこ。ハンバーグの中にイワシ混ぜようったってダメだぜ」
「︙︙地獄耳やな」
「つうか匂いだろ」
溜息混じりに、でも決して嫌そうじゃなく。
このふんぞり返っている男の為に、かの有名な二人の名探偵はキッチンに立っていた。
工藤新一。服部平次。
今や、ちょっとした有名人。
そして︙︙
「お腹すいたー。なあまだ?」
「うるさい! もうちょっと待ってろ!」
我が儘言いたい放題で、ぱらぱら手元の雑誌をめくっているのは黒羽快斗。
文句なしの、有名人。
『怪盗キッド』御本人様である。
大学で知り合い、気が付くと三人一緒にいた。
名探偵と、大泥棒。
︙︙この時点で快斗はまだ、二人に正体を明かしてはいない。
刻は真夜中。
突如視界が闇に包まれ、快斗は『?』とソファから身を起こした。
「男三人でムード出してもしゃあない思うけど︙︙まあええやろ」
平次は部屋の明かりを落とした所でテーブルライトを灯す。
「うっわ。服部って雰囲気で攻めるタイプか︙︙」
「ごちゃごちゃ言わんと、こっち来て早よ座り」
マンションの高層階にある平次の部屋は、眺めも結構なもので。
快斗は視線を外に向けながら、正面に座った。
目の前のテーブルに次々と運ばれる、料理の数々。
そして、お約束のデコレーションケーキ。
その上に立てられた、二十本の小さなロウソク。
新一はポケットからライターを取り出すと、次々と火を灯し始めた。
「よし」
「︙︙これ新一が作ったのか?」
「作ったことねえから心配だったけど、案外上手くいった」
「へー︙︙」
見るからに、まるで店で買って来たかの如くの出来映え。
レシピさえ見れば大抵の物を難なく作れる新一の腕に、快斗は今更ながら感心した。
「俺も色々、作ったんやけど?」
「あ、そ。サンキュ」
「なんやその態度の違いは︙︙」
「いいから快斗早く消せ。溶けたロウがクリームに落ちる」
新一が捲し立てる。
快斗が『そんじゃ』と一気に吹き消す。
同時に時計とクラッカーが、午前零時を告げた。
「ほーい二十一日! 酒もタバコも解禁おめでとさーん!」
「俺らの作ったもの、残さず飲んで食えよ」
「うっわー手の込んだ演出︙︙」
どう言っていいのか解らないといった表情。
でも照れた顔をして快斗は呟く。
今まさに告げられた、刻。
︙︙六月二十一日。
今日は、黒羽快斗二十回目の生誕記念日だ。
「やっぱ女の子らも呼んだ方が良かったんちゃう? 華が足りん」
部屋の電気を付け、平次はワインを注ぐ。
次にタバコを取りだし火を付けた。
「今日はお前らといたかったの。俺の日だ。文句言うな」
「全くだ。大体華ならここにあるだろうが。なあ?」
新一が快斗のタバコに、顔を寄せて自分のそれから火を移した。
くすくすと、微笑い合う。
平次はカラ笑い。
確かにこのよく似た顔を持つ二人は、他に類を見ない美形だ。
ただし。
性格も比例して、最強。
「あ、そや︙︙ほい、コレ」
「ん?」
ひょいと、渡された小さな包み。
快斗はその重さにピンと来た。
「あ! クロムの新作!?」
「ピアス欲しいって言うてたやろ」
「うっわーサンキュー!」
喜びの感情表現いっぱいに、快斗は平次に抱きつく。
まるで飼い犬が飼い主に飛びつく様に。
「アホ! 重いっちゅーねん!」
「︙︙快斗。これなーんだ?」
次に、新一が後ろから大きい紙袋を出した。
その形を見て、またも快斗はピンとくる。
「え! マジ!?」
「昨日入ったんだってさ。取っててもらった。嬉しい?」
「決まってんじゃん!」
身を翻し、今度は新一に抱きつく。
背格好もシルエットも似てる二人は、そうしてると本当に双子のようだ。
入っていたのは、ニコルの新作。
カタログを見ていてすっごく欲しがっていた、緋色のスーツ。
「感謝のキスは?」
「ん」
まあた始まったで︙︙
目の前で繰り広げられる猫のじゃれ合い。
もう慣れてしまった平次は、まるで映画を観るかのようにそれを眺めている。
顔もスタイルもすこぶる上等な二人。
鑑賞には、もってこい。
だけど。
「ほどほどにせえ。せっかく作ったんやぞ? 食え。冷める」
「服部。拗ねんな拗ねんな」
「誰が拗ねとんねん!」
「我慢すんなって。仲間に入りたいんだろ?」
「俺が混じって何すんねや︙︙」
同じ声でのサラウンド効果。
ノッてこない平次に、二人はつまんなさそうに舌打ちした。
「︙︙ケーキ切るか」
「真ん中のチョコプレート、先食っちゃお」
ひょいと。
メッセージ入りのプレートを快斗は摘まみ、口に運ぶ。
平次は腰を上げ、キッチンの戸棚へ向かった。
「ほんじゃナイフと皿とフォークやな。あと紅茶いるか?」
「あ、いい俺やる」
ついでに快斗の好きな紅茶でも入れたろかと思い聞いたのだが、新一が慌ててキッチンへ走った。
冷蔵庫の前に立つと、平次をしっしと追い立てる。
「なんやそれ」
「いいからお前はソレ、持ってけよ」
「︙︙何企んどんねん」
「別に何もねえよ」
明らかに挙動不審な新一。
平次は、『冷蔵庫』に何かあると踏んだ。
「︙︙ビールも、持って行きたいんやけどなあ」
「俺が持ってくから」
「なんで顔赤いねん」
「え、おい!」
赤い顔して睨まれても、美形が余計際立つだけで威力なし。
平次は新一を退かせて冷蔵庫を開けた。
でも、別に怪しげなものは見あたらない。
「?」
「ああもう! 快斗が待ってるから早くそれ、持ってけっつうの!」
「︙︙なんやねんホンマ」
疑問が残るが、特にそれ以上は詮索せずテーブルに戻り、食器を並べる。
白い食器が、薄闇に映えて綺麗だ。
ふと。
快斗に向くと、ニヤニヤ微笑っている。
「何や」
「いや。お前の誕生日には何してやろうかと思って」
「︙︙気持ちだけ貰っとくわ」
「え、俺の『気持ち』が欲しいのか?」
「アホかい」
もう真夜中も過ぎて、このテンションにはついて行けない。
そう思ってると背中に衝撃がきた。
「何じゃ!?」
「ナイフ持って来たんなら、切り分けぐらいしといたらどうなんだ」
「何も蹴らんでもええやろが!」
華麗な新一の蹴りが、平次の背中にヒット。
口より手より先に、足が出るのはいつもの事だ。
「あーらら︙︙今のは痛そ」
「快斗、ほら」
その時渡されたグラス。
アイスティーの氷に、何かが見えた。
「︙︙新一。何これ」
「何に見える?」
紅い、小さな破片。
透明な氷の固まりの真ん中に、浮かぶのは︙︙
「薔薇の︙︙花びら︙︙?」
「ご名答」
言ったあと新一は、照れくさそうに顔を逸らした。
製氷室の製氷皿。
そのひとつひとつに、薔薇の花びらを入れて作った氷。
淡い色を放つ紅茶の中で、時折音を立てて溶けていく。
「うっわ︙︙すっげ綺麗」
「︙︙人ん家の氷、何細工しとんねん」
平次が横から覗き込む。
快斗は妙に感動しているが、平次にはその感覚が解らないらしい。
新一は、まだ顔を逸らしたまま耳まで赤い。
「いや。ちょっと本で見て、面白そうだと思って︙︙けどやってみたら、すげえ、なんつーか︙︙」
「︙︙せやから俺を冷蔵庫から遠ざけとったんか」
「だってやる前にバレたらもっと恥ずかしいだろ!」
「俺、こーゆうの好き。すっげえ嬉しい」
照れながら快斗はじっとグラスを見つめる。
音を立て、刻と共に割れる氷。
座って暫くそれを眺めていた。
そんな快斗に、新一はまだ体温が下がらない。
︙︙実はもうひとつ仕込んだ、最後のトリックがある。
今更だが、やっぱりよせば良かったと思う。
快斗はともかく︙︙平次に、何て言われるか解らない。
呆れられるか。
大笑いされるか。
それもまあ、快斗がトリックに気づいてくれたらの話なのだが。
「新一天才! ケーキ、マジ美味かった」
「そう言ってもらえると、作った甲斐ある」
もう一時過ぎ。
食べ盛りの三人の体内に、綺麗さっぱりテーブル上のものは納められた。
「俺の料理も旨かったやろ?」
「︙︙服部のは味が薄い」
「何やと!?」
「悪い悪い、すっごく美味かった」
笑いながら『とーぜんや』と快斗を小突くと、新一と平次は食器を下げにかかった。
立ち上がり続こうとした快斗を、平次は止める。
「今日の主賓は大人しく座っとれ」
「︙︙じゃ、お言葉に甘えて」
妙に照れくさいとはこの事だ。
普段と違う状況に、快斗はむず痒い感覚に捕らわれる。
友人に『特別な日』だからとこんなに優しくされると、どう対応していいのか解らないのだ。
︙︙そうして最後のひと口を飲もうと、アイスティーのグラスに手を伸ばした。
「あれ」
まだ溶けきらない氷の中が、窓から差し込む月の光を反射している︙︙?
「?」
快斗はそれを手のひらに乗せる。
氷の真ん中に見えたものは︙︙
「︙︙ピアス?」
小さな。
けれども綺麗な、銀色のティアドロップ︙︙
薔薇の花びらの中。
それは包まれるように、氷の中に存在していた。
え︙︙ちょ、ちょっと︙︙
何これ︙︙
左手が震えている。
顔から火が出そうだという状態は、まさにこの事を言うのだろう。
体温が上昇して妙に胸の鼓動が速くなる。
快斗は、たまらず叫んだ。
「し︙︙しんいちいいいい!」
「な、何じゃ?」
「あ。見つかった」
キッチンで片付けをしていた二人。
その突然の叫び声に、平次は目を丸くする。
最後の贈り物が無事に発見され、新一は恥ずかしさと安堵を同時に感じた。
そして快斗は猛突進で新一に駆け寄ると、その腕を掴み隣の部屋に連れ込む。
大きな音を立て、ドアを閉めた。
「何やねんな」
いつもの事だが、予測不可能な友人達の行動。
平次は、大して気にもせず後片づけを続けた。
ドアに新一を押しつけ、快斗は未だ収まらない動悸を落ち着かせようとする。
オレンジの髪をふわふわさせて、その下から覗く鋭い瞳に、新一を映す。
顔は、赤い。
「おっとー︙︙何だか、予想以上の反応」
「何だよアレ!? すっげー恥ずかしいな! 男相手にするかフツー!?」
「だよなあ︙︙俺も恥ずかしい」
「じゃあすんじゃねえよ! 信じらんねーなホント!! ああああ全く気障な男だな!」
「それはお前に言われたくねえな」
肩を大きく上下し、睨みながら二人は暫しの沈黙。
こう見ると本当に似ている、顔の造り。
先に口を開いたのは新一。
「嫌だったか?」
「そうじゃねえから恥ずかしーんだろうが! めちゃくちゃ嬉しいっつーの!」
「じゃあそんなに大声出すな︙︙なんか、服部がピアスあげてたから︙︙うわダブリ? とか思ってさ。止めようかと思ったけど、もう氷ん中入れちまった後だったし」
視線を落とし呟く新一。
快斗は、その肩に顔を埋め大きく息を吐いた。
「︙︙マジ、ちょっとキた。でも俺相手にしてもしょうがねえだろ? 女の子相手ん時にやれよ」
「お前だから、やったんだ。薔薇も、プラチナもお前の好きなものだから、やっただけだ︙︙しょうがなくねえよ」
頬にかかる髪を、新一はゆっくりすく。
自分とは対照的な髪の色。
︙︙太陽の、匂いがする。
顔を上げると、快斗はまじまじと新一を覗き込んだ。
照れて、困ったような表情。
月明かりだけのその部屋で、やけに綺麗に眼に映る。
「新一にそんな顔されると弱いなあ︙︙同じ様な顔してんのに、やっぱ全然違う」
「快斗」
「頼むから、まだ特定の相手決めないでくれよ? 女にお前やんの勿体ない︙︙」
快斗の言葉に、新一はつい微笑う。
「何言ってんだ」
「︙︙新一ってパンドラみたいだ」
「ん?」
最後の呟きは、新一には届かない。
もう一つの顔を持つ快斗の、真の目的。
︙︙未だ見つからない、欲して止まないもの。
手に、入れたいもの︙︙
「どうした」
「何でもねー︙︙コレ、ありがとな」
そうして、再び新一の唇を掠め盗る。
恋愛感情はないけど、触れるそれは気持ちがいい。
離れて、二人は微笑った。
「服部にはしてやんねえのか?」
「あいつ冗談わっかんねえからなあ︙︙新一してやれば?」
「お断り」
からからと笑いながら、快斗は付けていた自前のピアスを外すと、新一からのそれに付け替えた。
僅かな光に反射する、雫型の小さな粒。
「似合う似合う。あげた甲斐があるってもんだ」
「なあ︙︙新一」
ふと。
快斗の表情が止まった。
ドアに寄りかかったままの新一。
快斗の様子の変化に、気づく。
「何だよ」
「︙︙いや」
そうして、目を伏せる。
やっぱり言えない。
これまで何度も、口まで出かかってるのに。
「俺さ︙︙」
全てが終わったら。
お前らの前から、姿を消す。
二人とも大事な存在。
きっともう、これ以上の存在に巡り逢うことはないだろう。
「変なヤツだな︙︙」
突然曇ったその表情。
新一は、快斗の頭にぽんと手を乗せる。
「心配しなくても、俺達お前の味方だ」
「︙︙え?」
「安心して、探しもの続けろ」
「!」
見開く快斗の目。
頭の中で繰り返される、新一の言葉。
「新一︙︙」
「もう二時だな。そろそろ寝るか︙︙起きたら色々連れ回すから、覚悟しろよ」
新一は快斗を連れ部屋を出る。
リビングのソファまで連れてくると、座らせた。
正面に、ベランダでタバコを吸っている平次が見える。
こちらに気付き戻ってきた。
「なんや黒羽。顔色悪いで」
「︙︙服部」
さっき聞いた新一の言葉に、『俺達』とあった。
とすると︙︙
︙︙服部も俺が『怪盗キッド』だと知っている?
「ん?」
「そりゃそうか。お前ら『名探偵』だもんな」
最初に近付いたのは、警察の情報収集の為。
同じ大学に入ったのも偶然じゃない。
調べた上での、計画だ。
大阪府警本部長を父に持つ、服部平次。
そして、小さな身体にされていた時に出会った工藤新一。
︙︙偶然を装って声を掛けた。
「黒羽?」
「うわ、ここで寝ちゃったか」
まだ慣れないアルコールが効いたのか、会話の途中でソファに崩れ落ちた快斗。
やれやれという表情で、新一は覗き込む。
柔らかい猫毛。
軽くすくと、新一は平次に向いた。
「ほら。運べ」
「︙︙言われる思たわ」
よいしょと快斗を抱え上げると、客間へと行きベッドに寝かせる。
すると寝返りをうち、丸くなった。
「猫みたいやな。お前と寝方、そっくしや」
「俺も眠いな︙︙ここで寝よ」
「布団ちゃんと被らんと風邪ひくで」
瞼を擦りながら、新一も快斗の隣に転がる。
今言ったばっかりなのに、毛布も被らず、すぐに吐息が聞こえてきた。
「︙︙たく。俺は親猫ちゃうぞ」
溜息と共に、その二つの身体に毛布を乗せる。
その光景に平次は僅かに微笑んだ。
「黙っとれば、ホンマ絵になるんやけどなあ」
そうして、平次も自室に戻る。
大きな欠伸と共にベッドに潜り込むと、すぐに意識は眠りについた。
︙︙誰もが、何かしら秘密を持っている。
例え世界中がお前の敵に回っても、俺達は味方。
だから。
お前はそのまま、進めばいい。
たった一人で挑む戦いに。
そして、帰ってこい。
消えたら許さない。
︙︙氷の薔薇の紅茶を、入れて待ってるから。
[了]
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