感情と思考のジレンマ

 

「あと、二日やな」

 平次が時計表示を見る。
 深夜の二十四時を廻ったから、もう五月二日だ。

「︙︙何がだ」
「工藤の誕生日」
「ああ︙︙忘れてた、そんなの」

 新一の自室。
 ベッド脇に二人腰掛け、静かに新一は息をつく。
 そして欠伸をすると眠たげに目を閉じた。

 身を乗り出してきた平次。
 それをよけ、新一は立ち上がる。

 クローゼットから寝間着を取り出し、さっさと着替えを始めた。

「︙︙せえへんのか」
「ん?
「三ヶ月ぶりやのに」
「疲れてんだ。今日は試合だったって言ったろ」

 大学対抗のサッカーの練習試合。
 新一は、今日それにスタメン出場させてもらった。

 日頃の運動不足を解消するには充分過ぎるほどで、帰ってきて即効ベットに倒れこんだ所に、平次が現れたのが約六時間程前のこと。

「せやけどなあ」
「予告もなしに来るからだ」
「︙︙迷惑やったん?

 座っている平次からの、上目遣い。
 思わず新一は蹴りを入れる。

「何も蹴らんかてええやんか!
「うるせえ。どうせ連休明けまで居るんだろ? だったら今日くらいゆっくり寝かせろ。いつもの部屋、ベッドメイク済んでるから」

 大阪と東京に分かれて暮らす二人。
 普段は滅多に、逢えない二人。

 二日の講義が終わったら、新一が出向こうかと思っていたくらいだ。
 迷惑な訳が、ないのだが︙︙

「待てまて待て!!
「何だよ︙︙あ」

 布団に潜ろうとする新一の腕を掴むと、平次は立ち上がりその身体をベッドに押し付けた。

 じっと、見つめる瞳。
 しかし久しぶりの至近距離に耐えられなくなってきた平次の方が、顔を赤くし視線を逸らした。

「︙︙何か言えや」
「呼び止めたの、お前だろうが」

 戻した目線の先には、口の端を上げただけの得意の微笑。
 平次の一番弱い、そして新一の一番得意な武器だ。

「もう、ええわ」
「へえ︙︙いいのか?
「え、ちょ︙︙っ︙︙」

 その時、服の裾から新一の指が滑り込んだ。
 ︙︙撫でるように進む感触が、瞬間平次の身体を跳ねらす。

 背中に辿り着き、ぐいと引き寄せた。

「く、工藤︙︙?
「けど、今ヤりたくねえのは本当だからな」
!

 ︙︙ほんの少し口唇を合わせて、すぐに離す。

 再び微笑った新一は、そのまま目を閉じる。
 すると︙︙すぐに穏やかな吐息が聴こえてきた。

 


 

 用意されていた隣の部屋で眠った平次は、眩しい光で目を覚ます。
 新一の部屋を覗くと、鏡の前で外出着をチェックしていた。

「あれ︙︙今日、講義あるんか」
「午前中だけな。大人しく待ってろよ」
「俺も一緒に行ってええ?
「却下」

 冷ややかな視線で、新一は言い放つ。
 
「あ、待てコラ!!
「付・い・て・く・ん・な」

 綺麗に微笑いながら念を押す新一。
 あまりの気迫に、黙って見送るしかない。

 閉まる玄関の扉。
 平次は深く、息を付いた。

 大学に入り身長も身体も男っぽく成長した服部平次。

 剣道をやっていて全国大会で何度も優勝しているせいもあって、自分の大学のみならず、近隣にもファンは多く。 
 すでに雑誌にも載った経験もあるから、わざわざ顔を拝みに待ち伏せしている輩も少なくない。

 そんな恵まれた環境にいるにも関わらず、惚れた相手は︙︙

「今日も相変わらず、工藤やな」

 この前逢ったのは、二月の終わり。
 あの時は、新一の方が大阪まで来た。

 『大阪見物と食い倒れツアー』と銘打って、週末を一緒に過ごした。

 見かけの細さとは裏腹に、良く食べる新一。
 思いのほか、良く笑っていた新一。

 そして︙︙案の定、事件に出くわしたのもいつも通り。

「︙︙やっぱ行こ」

 天気も良いし、少し暑いが散歩には最適だろう。

「大学生活の工藤、見たいに決まっとる」

 渡されていた鍵を掴み平次は家を出る。
 眩しさに目を細めながら、駅へ急いだ。

 


 

「工藤、ずいぶん上機嫌じゃん」
「ん?

 講義が終わり、乾いた喉を潤そうと自販機に向かおうとした時。
 同じ講義を受けている知人が、いつもと違う雰囲気の新一に問い掛けた。

「難事件でも解決したとか?
「ああ。明日からの連休は久々に家で過ごせる」
「さすが」

 じゃあなと手をひらひらさせ彼と別れると、新一は窓の方へ向かう。
 日差しが眩しい。天気はすこぶる良好だ。

 ︙︙新一は、手元の缶珈琲を開ける。
 今日の朝、平次が『一緒に来る』と言い出した時は本気で焦った。

 当たり前だ。
 講義どころじゃ、なくなる。

 この大学にもアイツのファンはたくさんいる。

 人懐っこい服部の事だ。
 愛想のいい笑顔を振り撒いて、すぐに人だかりが出来るだろう。

 ︙︙考えただけで、気分が悪い。

「ん?

 ふと、視線を落とす。
 校舎に向かって歩いてくるあの姿は︙︙

 あのヤロウ。
 大人しく、家にいろって言ったのに。

 ああもう案の定囲まれてやがる︙︙

 そう、服部平次。
 傍から見ても目立つスタイル。

 ︙︙だから嫌だった。
 お前を俺の大学に、連れてきたくなかった。

 


 

「来るなって言ったのにどうして来た」
「大学生活の工藤、見たい思うんがそんなにアカンか?

 新一はあれから平次の所へ行った。
 取り囲んでいる女子達は、新一が現れたのに気付くとさっと道を開ける。

 突然の東西名探偵ツーショットに更に沸く人だかり。
 『ごめんね連れてくよ』と目配せして平次の腕を掴むと、新一はそのまま大学の敷地外へと運び出した。

 大通りへ出たところで、深く息を吐く。

「俺は『家で待ってろ』って言った筈だ」
「︙︙せやけど」

 声が、やけに冷たい。
 視線も合わせない。

「工藤?
「︙︙なんかアタマ痛てえ︙︙帰るぞ」
「へ? ちょ、ちょお工藤、大丈夫か?

 確かに顔色が悪い。
 夏を思わせる日差しと気温に、やられたのかもしれない。

 平次は取りあえず自身の帽子を新一に被せ、タクシーを捕まえた。

 


 

「着いたで」
「︙︙ああ」

 車中もずっと無言で俯いたまま。
 瞼を閉じてはいたが、眠ってはいなかったようだ。

 玄関前に着くと新一は苦しげに目を開ける。
 二階の自室へ入ると、そのままベッドへ倒れ込んだ。

「おい工藤、せめて着替え︙︙」

 声を掛けるが、返事はない。
 まだまだ高い陽が窓から差し込み、新一を包む。

 平次はカーテンを閉めると静かに部屋を出た。

 


 

「︙︙こんまま明日まで寝るんか?

 夜の二十二時を廻っても、新一は部屋から出てこない。
 冷蔵庫のありあわせの材料で適当に作った夕食は、すでに冷めている。

 平次は何度か部屋を覗いた。
 顔色も確かめたが、熱が出ている様子もなく、規則正しい寝息だったから心配はしていない。

 しかし。
 一夜明けても、新一は目を覚まさなかった。

 昼を過ぎ。
 夕方になって、また星が見え始めて月が高く昇っても。

 ︙︙まだ目を閉じたまま。

 息は、している。
 だから心配はないとは思う。

 ただ。
 眠りから新一は、覚めない。

 刻は既に、三日の深夜。
 もうすぐ二十四時となり、日付が変わる。

 ︙︙もう、四日やで工藤。

 平次は、新一の額にかかる髪に触れる。
 月明かりに照らされた顔に、長い睫が影を落としていた。

 平次は今日、ほとんどをこの部屋で過ごした。

 前に一度、聞いたたことがある。
 これは、工藤新一の『自己防衛』だと。

 思考が許容量で計算しきれなくなった時、脳の整理の為に一時的に眠りにつくのだと本人は言う。
 だから、特に心配は要らないらしいのだが︙︙

「そろそろ誕生日やぞ。早よ起き」

 いくら眺めても飽きない新一の寝顔。
 手元のスマートフォンが、二十三時五十九分を表示していた。

 平次は、薄く開いている口唇くちびるを見つめる。

 そして︙︙
 ゆっくり自分のそれと重ね合わせた。

!
「ん︙︙」

 触れた箇所が、ピクリと反応を返す。
 そして声が聴こえた。

 驚いた平次が身体を戻すと、ゆっくり新一が瞼を開ける。

「︙︙服部?

 寝ぼけまなこの新一は、目の前の平次を見た。

「く︙︙工藤︙︙」

 身体を起こされ、ありったけの力で抱き締められる。
 あまりの力に新一はその背中を叩いた。

「服部、痛てて︙︙ちょ、コラ苦しいっつーの!!
「嫌や。離さへん」
「︙︙なに駄々こねてんだ?
「なにて︙︙」

 その時、平次はやっと新一をしっかり見た。
 きょとんとした顔が、目に映る。

「︙︙」
「おい。何だって聞いてんだけど」
「せやかて︙︙怒ってたやんか」
「え? ああ︙︙そうだな」

 やわらかに、新一は微笑わらう。
 今まで見たことのないほど、雰囲気を変えて。

「︙︙昨日は言い過ぎた」
「ふ、」
「何だよ︙︙笑うとこか?
「ちゃうちゃう。工藤、もうな︙︙四日やねんで?
「へ?

 枕元。
 置いてあったスマートフォンの、表示を見る。

 ︙︙確かに、もう四日を示していた。

「え、あれ?
「一日半、寝とったんやぞ」
「マジか︙︙」

 一気に顔を赤くする新一。
 月明かりでも解る、その表情。

 だから。
 今度は力任せではなく、ふわりと身体が感じるくらいに平次は包んだ。

 肩口に感じる平次の息。
 伝わる、鼓動。

 頬にかかる髪から、自分と同じシャンプーが香る︙︙

「誕生日おめでとさん、工藤」
「︙︙ああ」

 何だか気持ちがいっぱいで。
 新一は、それだけしか言葉を返せない。

 でも。
 返事の変わりに︙︙廻す腕に力を込めた。

 


 

「せやから、何でそないに大学生活見せたくないんや? 俺が行ったらアカン事でもあるんか?
「何しに大学行ってんだ。部外者お断り」
「別にええやろ。俺は、俺の知らん工藤が知りたいだけや」
「お前なあ︙︙」

 目が覚めた途端に感じた空腹感。
 それを満たしにキッチンへ降りてきた新一は、平次が作ってくれた食事をとる。

 相変わらず何作らせても美味い。

「工藤は知りたないん? 俺の大学生活」
「別に」

 即答され項垂れる平次。
 それでも新一の為に、真夜中の珈琲を入れるべく豆をく。

 ︙︙ふわりと香ばしさが包んだ。

「知りたいんは俺だけか」
「服部。自分がどんだけ知名度あるのか知ってるよな」
「は? 今それ関係ないやん」

 食べ終わった食器を片付けようと立ち上がる新一を制し、平次は皿を奪う。
 カウンターキッチンを挟んで向かい合う二人は目を合わせた。

 少しの沈黙の後、新一が声を出す。

「︙︙関係ある。知りたくないからな、俺がいない場所でのお前なんて」
「へ?
「大阪はいい。お前の本拠地だし︙︙けど東京は違う。普段いないはずのお前が現れたら、騒ぎになるに決まってる︙︙実際なってたし」
「え、ちょお工藤?
「それを俺の視界に入れたお前が許せない。そして︙︙そんな事を許せない俺が、一番許せない」

 新一は睨み付けていた。
 平次を。そして自分自身を。

 ︙︙相変わらず威力のある表情で。

「せやから眠りに付いたって言うんか」
「多分」

 ︙︙平次はたまらなく嬉しくなる。

「工藤の誕生日に俺が嬉しなってどないすんねん」
「満足か?
「せやなあ。後はアッチが満たされれば最高や」

 睡眠は十分だし、食欲も満たした。
 あとは食後の珈琲さえ完璧に仕上げられたら︙︙最後の欲は一つしかない。

 ︙︙新一が微笑う。

「お前次第だろ、それは」
「へ?
「怒っては、もうない。ただ許可なく大学に現れた件は、許してない」
「︙︙えー」
「さあて。どうやってこの後、俺の機嫌を直す?

 完全に新一の手のひらで踊らされている平次。

 天にも昇る気分になったかと思えば、地獄の気分に堕とされる。
 それでも気を取り直し、入れ立ての珈琲を差し出した。

 ︙︙ん?
 この香りは︙︙

 新一の表情が、変わる。

「工藤んち来る前に、スタバで豆買うてきとったんや。ちょうど季節のもん出とったし」
「︙︙うまい」
「せやろ? 練習もぎょうさんした甲斐あったわ良かったー︙︙やっと最近、慌てんで提供できるようにもなったし」
「え?
「ん?

 向かいに立ったまま、自身の珈琲に口を付けた途端の平次。
 素っ頓狂な声を出した新一に、疑問で返す。

「ちょっと待て︙︙お前まさかバイトしてる?
? ああ。前にラインで言うたやろ? 春休みから、たまに大学近くのスタバで働いとるて」
「︙︙」
「まーしゃあないか。工藤、俺の大阪生活には興味ない言うてたしな︙︙あ。甘いもんも一緒に買うてきとるけど、真夜中やし明日食おな」

 目眩めまいがする︙︙

 そう言えば、そんな内容のラインをもらったことを思い出した。
 あの時も半日眠りに付いたことも、忘れてた。

 コイツが働いている時間帯は、異常なまでに混んでいるに違いない︙︙

 ああだから嫌なんだ。
 知りたくないんだ。

 ︙︙俺がいない場所でのお前なんて、想像したくもないのに。

 このうまい珈琲と『服部平次』という人間から推理される状況は、あの時見せられた光景と同じもの︙︙

「︙︙風呂入って寝る」
「へ? 起きたばっかやろ」
「また眠りに付くかも。珈琲で機嫌直すつもりが、逆効果だったな」
「え、な、何でや?
「じゃ。オヤスミ」

 小さな声で『ごちそうさま』とカップを渡すと、新一はバスルームへ向かった。

 


 

「︙︙俺の入れる珈琲だけ、飲んでくれたらええのに」

 遠くでシャワーの音がしていた。
 そして手元の珈琲カップを眺めながら、思い出す。

 あれは新一が大阪へ来ていた時。
 またしても遭遇した事件の解決後、立ち寄ったスターバックス。

 濃いめの珈琲を飲んだときの︙︙あの柔らかい表情を見た、衝撃。

 だから覚えた。
 直接働いて、技術を学んだ。

 自身の知名度も人気もそれなりに自覚しているから、多少の騒ぎにはなるのは覚悟していた。

 でもそんな事はどうでもいい。
 平次は、向けたかった。

 あの表情を。
 この、自分だけに。

 ︙︙ひとまず成功といった所か。

「にしてもなあ︙︙」

 群がってくる女の子たちに嫉妬してくれるのは嬉しい。
 表情では隠してるつもりでも、目の色があからさまに不機嫌になるから面白い。

 でも解ってる筈だ。

 平次が、一番惚れてるのは誰なのか。
 わざと騒がれに大学に姿を現したのは、何故なのか。

 全ては自分に向けさせるため。
 『工藤新一』の、思考全てを。

 解ってる筈。
 ︙︙なのに、眠りに付くのだろうか。

「面倒な性格やでホンマ」

 感情と思考が葛藤し、強制終了へと導く。
 それが新一の『眠り』だ。

 だけど。

「何がそないに不安なんや?

 何度も何度も。
 自分の気持ちを、言葉にしても。

 明日も同じ気持ちでいるかなんて、誰にも解らないと新一は言う。
 それは確かにそうだろうけど︙︙

 明日が来るかどうかも誰にも解らないのだから、今この瞬間を大事にしたい。
 久しぶりに逢えたのだから、出来る限り一緒にいたい。

 それが平次の正直な気持ち。

「︙︙行くしかないな」

 ここで悶々としててもしょうがない。
 怒鳴られても、キスで黙らせればいいだけだ。

 それに俺次第だと言っていた筈。
 平次は、せっかく整ってる状況を活用すべくバスルームへと向かった。

 


 

 思考が許容量で計算しきれなくなった時、脳の整理の為に一時的に眠りにつく。
 それが新一の『自己防衛』

 でも。

 ︙︙誕生日を迎えたこの明け方は。
 穏やかな吐息と共に、二人は目を開けた。

[了]

 

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